日本語には正書法がありません。それで何か困るかというと、何も困りません。日本語で困らないということは、地域性の要素を除けば、他の言語でも困らないということです。

英語ではスペルミスがあると、そこに目が行ってしまい、読みにくいということはあります。また、スペルミスは書き手の教養レベルの反映であるという思い込みもあります。この思い込みは初等教育の弊害だと思われます。

日本語でも同様の問題があります。さらに、日本語に正書法がないことがコンピュータにおける言語処理を複雑にしているという指摘もあります。

一般に、正書法を定めて使用すること自体は特に否定すべきことではないと思われますが、必要かといわれると、そうではありません。読みやすさの問題は正書法だけの問題ではありませんし、そもそも表示ソフト側で各ユーザーに合わせて処理すべき問題の一つです。根拠のない思い込みは長い目で見れば時間が解決してくれるでしょう。コンピュータにおける言語処理は開発側の負担であって、ユーザーが気にすることではありません。そもそも人間よりも機械の都合を優先する発想は、歴史が証明している通り、有効な考え方ではないのです。

Scientific Englicでは正書法を決めることはしません。むしろ、正書法に頼らない言語構造の構築を目指します。