高島俊男先生によると、中国語の文章は「文言(ぶんげん)文」と「白話(はくわ)文」とにわかれるようです。「文言文」は官僚的な書き言葉で所謂「漢文」のことであり、「白話文」は日常的な話し言葉を文章にしたものです。
「文言文」は中国語を知らない日本人でも習得するのが容易であるのに対して、「白話文」の方は中国語や中国文化を知らないとどうにもならない性質のものであるらしく、漢文が得意な人であっても「白話文」はよく理解できず、頓珍漢な解釈や翻訳をしてしまうことがあるようです。
このような文語と口語の乖離現象は、中国語に限らず、日本語や英語でも見られます。一般化すると、言語は普遍性と地域性の二面性を有していると言えるでしょう。
普遍的な「文言文」と地域的な「白話文」は果たして同じ言葉なのでしょうか?
かつて「文言文」は、中国語の一種であると同時に、東アジア地域の国際語でもありました。今の英語に似た立場です。そのように考えると、「文言文」は必ずしも中国語ではなく、中国語に似た国際語だとも解釈できます。
むしろ、本来は形而上的な国際語というものがあり、それがその時の国際的な政治状況を反映して中国語や英語に似た形態で使われてきたと考えるのが自然なのかもしれません。
そのように考えると、「文言文」はScientific Englicの方言の一つだとも考えられます。
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